当教室について

一義流気功 / 小池義孝 理念と自己紹介

一義流気功と、小池義孝の人間性

人には、表の顔と裏の顔があります。特にこのような仕事上での自己紹介には、本当の姿など明かされるはずもありません。
しかし私は、この自己紹介で人間性の全てを明かします。結果として、貴方に悪い印象を持たれたとしても、仕方がないと思っています。以前に公開していた自己紹介では、私も嘘はないものの、良く思われようとする意図が入り込んでいました。今回のこれは、より本音です。

なぜなら、私にはその義務があります。教室・講座の受講は、決して安くはありません。それだけの金額と時間を投資して、私に賭けてくださるのです。表面上だけを綺麗に取り繕った自己紹介で、冒険はさせられません。 

私の従来の人間性は、おそろしく歪なものでした。
優しいだけなら、人一倍の優しさを持っていました。けれども、人間という集団が嫌いでした。他人に無関心であったため、人間らしい温かさがありません。優しく親切だったけれど、同時に冷たくもありました。関心のなさは、情の薄さを意味します。
子供の頃から、家族にも友人にも、一体感を持った経験がありませんでした。分離感があり、心は、孤独で当たり前でした。
感情の起伏が薄く、人生に対するモチベーションが低い。かと言って、大きく人生の道を踏み外すような思いっきりもありません。中学、高校、大学と、余力を残して中ランクを歩んで来ました。
一貫して穏やかな性格ではありましたが、心の中は、常に殺伐と荒涼した世界です。嬉しい、楽しいといったプラスの感情は、虚無感の中に咲く一時の彩でしかありません。刺激がなくなれば、また元の暗い世界に戻っていきます。 しかし驚くことに、当時の私はそれを受け入れていました。他の世界を知らなかったので、「こんなものだ」程度にしか思っていなかったのです。今にして思えば、そこは生き地獄です。

何となく生き続けてきて、気付けば30歳です。
大学を卒業してからその時まで、私は父の会社にいました。ゴルフ用品をメインに、ネット通販で収入を得ていました。完全歩合制の給料は、20万円にも満ちません。親からは見合いを勧められますが、「こんな、うだつの上がらない男を、どこのお嬢さんに推薦できるのか?」と断り続けていました。親は欲目で見てくれるものですから、自己評価とのギャップが苦しかったです。
30歳という年齢は、私を慌てさせました。20代の頃は、まだ若者気分が抜けません。モラトリアムという言葉がありますが、正にそんな心境です。今はダメでも、未来がある。大人になったら頑張れば良いという感覚で、日々をダラダラと過ごしていました。小学生の頃から、占い師には決まって「大器晩成」と言われ続けてきました。その言葉が刷り込まれていて、安心していた部分があります。20代の後半あたりから、「大器晩成といっても、現状から挽回できるのか……?」と疑問と不安が強くなってきました。まともな努力もせずに、早熟も晩成も有り得ません。何とも間抜けな話ですが、30歳という区切りが、私をようやく目覚めさせたのです。
売れる物を見つけては、インターネットで販売する。経験もそれなりに積んだ私は、独身で実家にいてやっていく分には、おそらく大丈夫だろうと考えていました。けれど、そこで想像をしました。40歳になっても、この生活を続けている自分…… 私は寒気がしました。
それでは、私は何者でもありません。社会の隅にいさせてもらって、適当にお金を回しってもらって、細々と生きていく。私が死んでも、社会にとっての損失はないに等しい。私から買えなくなったら、他の人から買えば良いだけです。
感情の起伏がなく、モチベーションも低かった私です。しかし唯一、旺盛だった要素があります。それはプライドです。社会にとって無益な存在である自分で終わってしまう事態が、許せなかったのです。

気功の世界へ

新しい世界に飛び込みたいとは思っていても、アテは何もありません。それでとりあえず、「気功」というジャンルに焦点を当ててみました。気功については、元々の土台があります。生まれつき気の感受性があり、台湾の方から一般的な小周天、大周天を学んでいた経緯もあります。
ネットで見つけた気功整体のスクールに入り、そのままスタッフになり、実質上のナンバー2として勤めている間に、一義流気功を開設(2006年 9月)。その後、完全に独立いたします。……と言いますか、実質的には追い出されてしまいました。表面上の理由や展開はありますが、こういったものは、大きな流れに沿うものです。離れるべきは、そうならざるを得ない方向性に、無理にでも持って行かれます。ですから別に、恨みも何もありません。
この時、そこの後輩だった妻と出会い、独立直後に結婚します。

最大の転機となった、「異常反応の解体」

起業してしばらくの間は、勤めていた場所と殆ど変わりはありませんでした。そこのやり方しか知らないのですから、当然と言えば当然です。
けれども離れていると、やがて独自の経験や知識を得て、違う方向性に行くものです。私にとって最大の転機になったのは、「異常反応の解体」でした。
異常反応とは、潜在意識の不合理な恐怖心です。鬱病などの精神的な問題の背景には、ほぼ必ず異常反応が根本原因として絡んでいます。

→ 異常反応について詳細

実は妻は、極めて大きな異常反応の持ち主でした。精神的に不安定でありながらも、かろうじてバランスを取り続けていた妻。けれども妊娠・出産・育児によってバランスが崩壊し、精神的にかなり危うい状態にまで追い込まれます。完全な鬱に入り、自殺されないよう、見張っていなければならない程でした。寝ている間に、仕事中に、自殺・もしくは母子心中されるのでは? という不安と恐怖が、私の当時の日常でした。
当時の私は、この状態に対して無力でした。自分が持っている知識と技術では、対応しきれません。一義流気功の患者さんも、肩こり・腰痛・疲労感・不定愁訴といった、肉体の問題が中心です。
精神医療でも、太刀打ちできないのは明らかです。現代医療の中で、もっとも出来が悪いのが精神医療の分野です。精神薬で気分を変えたところで、何かが治る訳ではありません。医療ではない一般的な方法論でも、妻には無力に等しい。
私は、妻を救える知識を求めました。そしてやがて、「異常反応」の存在を知ります。異常反応の発見自体は、実は5、60年前に遡ります。私は、それを治療として消す技術の開拓者です。
妻に行う前に、私は自身を実験台にしました。思考錯誤をしながら、ついに自分が抱えていた異常反応を完全に消去しました。すると、驚くべき事実が発見されました。私は精神面において、「自分ほど健全な人間はいない」とまで自己評価をしていたのです。ところが異常反応を消し去った後は、まったくの別世界でした。それまで自分が生きてきた世界は、実は生き地獄だったのです。それが冒頭に書いた、

心の中は、常に殺伐と荒涼した世界です。嬉しい、楽しいといったプラスの感情は、虚無感の中に咲く一時の彩でしかありません。刺激がなくなれば、また元の暗い世界に戻っていきます。

という姿です。異常反応を消す前に、生き地獄しか知りません。私はその場所を、健全で平和な世界だと思い込んでいたのです。異常反応は、狂気の世界です。精神に占める割合が高ければ高いほど、心は狂わされます。一般的には、20%を超えると日常生活に明確な支障が出始め、鬱病などのリスクも高くなります。私の精神は、実に30%の異常反応を抱え込んでいました。
異常反応が消えた心は、途端に彩を得ます。常にあったザワザワとした不安感は消え、世界が明るくなります。これは後でご紹介する「固着した悪意」との兼ね合いによる現象なのですが、心の中に棲んでいた化け物のような人格も、一気に薄くなります。化け物は私の理性に反して、他人や世界の不幸を望み、それを喜びにしていました。例えばニュースで誰かが悲惨に殺害された事件が報道されると、その化け物は明らかに喜んでいるのです。逆に危ない所を助かった事件に対しては、「何だ、死んでしまえば面白かったのに……」と反応してきます。異常反応を解体した途端に、それらが無くなったかのように薄らいだのです。
妻の異常反応も、完全に解体しました。直後、心の毒を清算する反応が起こり、表面上は荒れます。しかし次第に、精神状態は確実に好転して行きました。
異常反応の解体は、一義流気功の治療内容として取り入れられます。すると、治療現場で衝撃的な展開が起こりました。それまで無力であった鬱病など、精神的な問題に対して、凄まじい効果を発揮したのです。鬱病だった患者さんが、異常反応を解体した途端に、急激に状態を改善させていく事例が相次ぎました。

「これは凄い世界に飛び込んでしまった……」

私は、目標設定を変えました。それまでの成功イメージは、関東圏から多くの患者さんがいらして、頼られる自分…… でした。異常反応の解体をもって、世界で活躍する治療家になろう! 私はそう、決意しました。

初出版「ねこ背は治る!」

ところが、世界で活躍する目標設定は、あまりに遠く非現実的です。自分の社会的な立ち位置を見れば、一治療家でしかありません。しかも気功という分野は、スピリチュアル寄りで訝しげに思われています。
私は目標までの距離を、最短で縮める方法を探しました。そこで出た結論が、「本を出版して、ベストセラー(10万部以上)にする」でした。私の最大の強みは、精神の分野になっています。けれども、ここで成功できる気がしません。私は自分の棚卸をします。検索条件は、<出版社が出してくれる><一般的に受け入れられ、ベストセラーが狙える>です。そこで出た結論が形になったのが、「ねこ背は治る!」(自由国民社)でした。
この本は、19 .5万部の発行となりました。ビジュアル版の4万部を入れると、23.5万部のベストセラーに。また後追いで出された「ねこ背が治って心も体も強くなる!」(王様文庫)は、13万部に到達。ねこ背関連で、台湾と韓国の翻訳版まで出ました。新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどのメディアにも大きく取り上げられ、一躍、私の社会での立ち位置が押し上げられました。

愛05の開発へ

異常反応の解体は、手付かずの鉱脈に足を踏み入れたようなものでした。そこから私の知識は、飛躍的な発展を遂げます。その過程で、大きな次の一歩が踏み出されました。「愛05」の開発です。
幼少期に愛情を受けられなかった子供は、一生、自分を肯定できない。他人に愛情を向けられない。愛情の稀薄さ、我が子への虐待などの背景です。この問題は、従来、解決不可能でした。大きくなってから、どれ程の愛情を受けようとも、どのような努力をしようとも、その欠陥は埋めようがなかったのです。愛05は、この問題を治療によって完全に解決します。

→ 愛05について詳細

愛05を世界で初めて受けたのは、私自身です。これが……凄かったです。異常反応の解体と同等の変化、衝撃をもたらしました。
ここである意味、勇気のある告白をしなければなりません。私は人を救う仕事を選択していながら、人間というグループが好きではありませんでした。嫌いというよりも、単に関心が薄いのです。
人を救おうとするモチベーションも、当然、高くはありません。無関心とは、言い換えると「どうでもいい」です。私が強い関心を示していたものは、“社会にとって有益な自分”です。ですから結果としては、人や社会のために動いてはいます。ただそれは純粋な人助けではなく、有益な自分を作るための作業でありました。もちろん、人の役に立つ喜びがない訳ではありません。割合として、自分のためにという側面の方が、圧倒的に勝っていたのです。
愛05の到達度は、数値化されています。これ以上、受けても何も変わらない飽和状態を10として、一般的には5~8程度の方が多いようです。それ以下になると、自己肯定感、他人への関心・情という部分で、目立った欠陥が現れます。私の元の数値は2でした。
愛05数値が高ければ、自分を理由なしに肯定できます。その感覚を知っているので、他人も理由なしに、その人だという事実だけで肯定できます。人は心の安定のために、自己肯定が必要です。低い人は、理由を見つけて肯定しなければなりません。そしてその理由が、心を守る生命線になります。どのような理由も、価値観や判断基準によって、容易に否定されてしまいます。ですから人は、理由にしがみつきます。
私の場合には、その理由は知性の高さでした。自分の頭の良さにしがみつき、そこから他人を見下して、心を保ってきたのです。ただ私の場合には、その醜悪さにも気付いていました。ですから他人を見下す自分を否定もしました。行きつく先は、達観です。ただこの達観は、適当なところでの思考放棄でもありました。そうして、私の飄々とした性格が作られ、固定されました。
愛05数値が最大になると、途端に世界が変わります。私は子供を溺愛していると思っていたのですが、最大値の世界はものが違いました。あれを溺愛と呼んでいたのかと、恥ずかしくなる程にです。「目に入れても痛くない」という言葉の意味が、初めて実感として理解できました。心の力もスッと抜けています。理由なしに自分を肯定できるので、力を抜いていられるのです。他人も、同じような感覚で肯定できます。接触意欲が湧いてきて、面倒だったコミュニケーションも、苦に感じられなくなりました。他人との繋がりに喜びが見出せ、情も湧き上がってきます。
異常反応と同じように、愛05も治療現場に投入されます。数値の低い人にとって、効果は絶大でした。教室の生徒さんが愛05を実践し、この治療法をブレークさせました。医師にも絶賛され、異常反応に先んじて、愛05が有名になりました。

心に固着した悪意の解体、を開発

異常反応、愛05の領域は、鉱脈のようなものです。そこから得られた知識は、新たな領域を開拓する土台になります。一義流気功で生み出される治療法が斬新なのは、この鉱脈が、ほぼ手付かずの状態で残っているからです。
私はやがて、「なぜ、心に悪意が固着して離れないのか?」に明確な解答を見つけました。それは同時に、固着の外し方の発見でもありました。問題の正体を限界まで突き詰めれば、多くのケースで、解決策を発見したも同然になります。

→ 心に固着した悪意の解体、の詳細

私は元々、悪意の強い人間でもありました。小中学校と理不尽な思いをして、心の中に陰を入れ込んでしまったのです。ドス黒い攻撃性です。
異常反応を解体し、愛05も最大値になり、心の中は、以前とは比較にならない位に平和になりました。けれどももう一歩、この攻撃性がこびり付いて離れない感覚がありました。過去の出来事に対して、恨みが消えきってはいませんでした。また映画やネット上で見られる体験談でも、復讐のストーリーを好みました。
固着した悪意を解体すると、またもや世界が激変します。心に残っていたドス黒いものが、完全に無くなります。許した覚えはないのに、恨みが消えています。怒った時の様子も違って、それが長続きしなくなりました。パッと怒って、サッと引いていきます。黒さのない、爽やかな怒りです。
この段階で、僕はブログにこんな記事を投稿しています。

『エヴァンゲリオン → よい子の絵本の世界へ、お引っ越し。』(→ http://ameblo.jp/koikeyoshitaka/entry-11697455973.html

エヴァンゲリオンというのは、1995年に放送されたアニメです。当時、大ブームになって社会現象にまでなりました。哲学を取り入れた、暗くドロドロな世界観が斬新でした。
異常反応、愛05、固着した悪意の全てが解決した時に、私は初めて心に真の平安を感じました。それを、よい子の絵本と表現したのでした。

一義流気功の治療は、知識と技術の開発と同時に、常に進化していきます。現段階では、異常反応、愛05、固着した悪意、これら全ての要素が、一度の治療で完全に解決されています。

人間性、心というものは、常に最良の状態であろうとします。どんなに歪んだ酷いものであっても、それは懸命にバランスを取ろうとした挙句の果ての姿なのです。
30%という大量の異常反応を抱え、愛05数値も2という極端な低さ、固着した悪意は4とやや多い。これが私の元々の基盤でした。いつも心は不安でざわつき、自信がなく、情も薄く、幸福感はなく、孤独でした。追い込まれたら、何をしでかすか判らない狂気も、自身の中に感じ取っていました。
この与えられた状況の中で、最善の自分を獲得しなければならないのです。まず私は、優しくなりました。情が薄い分を、優しさを育てることでカバーしました。不安やざわつき、狂気に対しては、「心の研究者」に徹して第三者の立場を貫きました。“自分自身”を強く確立させず、何となく生きてきました。孤独感については、何も期待しませんでした。自信のなさについては、腕力や知性の高さを誇りにして、頼り切りました。他人のほとんどを、見下している部分がありました。狂気は扱いが判らないので、主導権を奪われないことだけを注意して、放置していました。ここが、私にとって最善のバランスだったのです。
異常反応がなくなり、愛05が最大値になり、固着した悪意が消え、根底が覆されます。ザワザワとした不安感が消え、人との一体感を知り、情が芽生えました。理由なしに自分を肯定できる感覚を知ると、他人も承認できるようになりました。狂気も、消えてしまいました。


ある日、私はふと気づきます。飄々とした性質は、自分の本質ではない。心を守るために作られた、仮の性質である、と。では私の本質は、どんな人間性なのだろうか? 私は私の中に、“自分”を探します。……見つかりません。ここで二つの可能性があります。形成されていないのか、隠されているのか。隠されている可能性も視野に入れて、再び探します。……どうやら、存在しないようです。
私は察しました。異常反応も愛05も酷かった自分でバランスを取るには、“自分”を形成してはいけなかったのです。辛過ぎたのです。私は自身の人生に、そもそも興味を持てませんでした。何となく、欲求を満たしたり、正しいと思うことをしたり、ロボットのようで人間味がありませんでした。
そこで私は“自分”の形成を試みます。今の心の土台をもって、全ての人生経験を高速で再体験させました。すると、胸の奥に温かく力強いものが生じ、大きくなっていきます。私は、人生で初めての感動をします。ようやく、本当の自分自身に出合えたのですから。
改めて、私は自分の本質を見ます。私の本質は、何を思い、何を望んでいるのだろうか? 回答は、拍子抜けするくらいシンプルでした。そこにあったのは、「生きたい!」とする生物としての基本欲求だけでした。
人の本質には、二種類があります。高度な理性と肉体の心です。私は既に、理性とは出合っていました。肉体の心との出合いを、初めて、ここで果たしました。人の本質とは、理性と肉体の心とが重なったものです。私の精神は、この時、ようやく満足な形で本質を得たのです。
その直後の辛さは、今でも鮮明に思い出されます。仕事、結婚して子供がいる状況、何とも思っていなかったこれらが、重いのです。重くて重くて、押し潰されそうなプレッシャーです。そうか、人間はこんな重圧の中、懸命に生きているのか……

そして今、私はここにいます。